もう、どうしようもない。

私は非常階段を降りて、長岡駅のロータリーから離れる方向へ伸びる路地へと迷い込んだ。

 タクシーの運転手が私を見ていた。

居酒屋からがははと笑う声が聞こえた。

 そして、私の目の前で、横になって眠っているホームレスがいた。

「ああはなりたくねーよな」

 ホームレスの向こうに伸びる通りを、中学生くらいの集団が歩いて行く。

ホームレスをちらちらと見て、彼らは笑う。

私の姿に気づいた者もいたけれど、ホームレスを見るのと同じように、見て見ぬ振りで立ち去った。

 はっとした――思わず世界から目を背けたくなるほど、驚いた。

 今まで出会った全ての大人を見るとき、私は毎回必ずこんな大人にはなるまいと願っていた。

私がなりたいと思うような大人はこの世界には、少なくとも新潟県長岡市には住んでいなかった。

けれど、私は目の前に転がって寝ているホームレスを見て、唐突に気がついてしまった。

 どれかにはならなければいけないのだ、と。

 私が今まで出会ってきて見下してきた大人たちの、どれかには必ずならなければならないのだ、と。

ならざるを得ないのだ。

さもなくば、何者にもなれないという結論が待つのみだ。

そしてその何者にもなれなかった者こそ、このホームレスなのだ。

 私は、喉の奥で猫のように唸った。

さもなくば、目の奥から生まれた熱に堪えきれなかった。

全身がこわばり、ずるずると魂を抜かれるように、私は泣き始めた。

 何かには必ずならなければならないのだ。

そしてそうなったとき、今度は私がどこかの小学生か中学生に見下される番なのだ。

 

 ポケットの中で、携帯が震えた。

取り出してみる。松城家からかと思ったけれど、違った。

ゆかりからだった。

「もしもし」

「あ、猫ちゃん、今どこに、」

「ゆかり。あのさ、私、ゆかりに教えなくちゃいけないことがあるの」

「え?」

 不思議だな、と思った。

電話の向こうにいるゆかりの心は読めなかった。

いつもは触れ合っているみたいに近くにいるのに。

いつの間にこんなに離れてしまったのだろうと思った。

 私は、寝っ転がったホームレスの姿に世紀末を見ていた。

 世界が終わるのだ。

いや、仮に世界が終わらなくても、私たちの関係は、今日、終わる。

「あのね、ゆかり。それに上様も、そこにいるのかな」

「う、うん」

「今日の試合の結果はね、私が操作して、作り上げたものだったの。ゆかりのピッチングが優れていたわけでも、上様に才能があったわけでも、なんでもないの」

「え? どういう、」

「私には、二つの超能力がある。人の心を読む能力と、触らずにものを動かす能力」

 私は振り返る。

そこに、二人が立っていた。

耳に携帯を当てたゆかりと、私の分のバッグをも抱えた上様とが。

「う、嘘。なにその冗談、全然、」

 私はゆかりの携帯を睨み付けた。

携帯はゆかりの手を外れて地面に落ちた。

「今、私がゆかりの携帯を動かした」

 上様の抱えている私のバッグ――その肩紐を動かすと、上様が私のバッグを落とした。

 ゆかりと上様は、信じられないという顔で私を見る。

「おかしいと思わなかった? 私が二人の好みをよく知っていたり、初めて戦うチームのバッターの苦手コースを知っていたり」

「で、でも」

「調べれば、ねえ」

ゆかりと上様は目配せをする。

私はあざ笑うように言う。

「でも、今日の試合は明らかにできすぎだったよね。ちょっと考えれば、私たちにそんな実力がないってことくらい、分かるのに」

「ど、」

「どうしてそんなことをしたのか、って今言おうとしたでしょ、上様。そんなの、考えなくても分かるでしょ。勝つためだよ」

「で、」

「でもそんなのズルじゃないかって? 上様はさ、ほんとに優しいよね。私はね、自分が勝ちさえすれば、ほかはどうでもいいの。ここに寝っ転がってるホームレスみたいになりたくない。それだけ。ギャンブルとか酒におぼれた人間の末路は、私が一番知ってるから、だから、」

私は、これで最後にしようと思った。

元通りには決してならないけれど、一度裏切ってしまったこの関係は、もう一度裏切ることで、きっとすっきりとどこかに収まってくれるような気がした。

だから私は――二人のことを嫌いになって、二人も私のことを嫌いになってくれれば、この凄絶な裏切りも、なんとか幕を引けるんじゃないかと、期待した。

「だからね、全部、私が仕組んでたことなんだよ! ゆかりが投げた球を操作して、上様がボールを打つ瞬間を操作して、全部、私が二人を裏切って偽物の結果を作ってたの! 私はそういう最低な奴なんだよ! 勝つためには手段を選ばない! スポーツマンシップの欠片もない、最ッ低なドクズ野郎なんだよ!」

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