短編小説『ブリリアント・チーティング』完結

――裏切ってでも、守りたかった。  著:水円花帆

 全てが終わった。
 私、榛名猫のいない島田スターマインズの北信越大会は、十一対四という大敗によって幕を閉じた。

私のリードじゃないゆかりの棒球はおもしろいようにぱかぱかと空を切り裂いた。

しかし、スターマインズのあげた四得点という数字に、会場に来ていた人々は、全員驚かされることとなった。

 スターマインズのヒット数は四で、その内訳は三番打者であるゆかりのシングルヒット二つと、四番打者の上様のツーランホームラン二本という内容だった。

相手チームのエースは、ゆかりと上様の二人を押さえることができなかったのである。

 もちろん、私は能力を使っていない。

あの長岡駅前で三人で抱き合って泣き叫ぶというちょっとした珍事件の翌日、私は二人にこっぴどく怒られ、二人に内緒で能力を使うことを絶対にしないと約束させられてしまったのだった。

 ――もちろん、私はその約束を反故にしたりする気は毛頭ない。

この二人をもしももう一度裏切らなければいけないくらいならば、頭をかち割って死んだ方がマシである。

もしも二人のためだと思っても、絶対に黙って使うなと、私は厳しく叱責された。

「猫ちゃんがいたら絶対勝ってたよ」

「ほんとほんと。猫ちゃんが出てたら私のホームランが全部スリーランになってたからスターマインズは四回終了時点で六点だし、そうしたらコールド負けじゃないからもっと打順が回ってきてたし、それに猫ちゃんのリードでゆかりちゃんがあんなに失点するわけないもん」

「……二人とも、ずいぶん無茶苦茶なこと言ってるって分かってる?」

 ゆかりと上様は、負けたというのに上機嫌だった。

しかしまあ、それもそうだ。

 なにせその二人して打率十割という記録は、正真正銘二人の実力によるものなのだから。

 そしてなんと、この試合を、上様のお母さんが見に来ていたのだ。

会場は長野県の須坂市にあるグラウンドだった。

チームこそ負けたものの、上様の成績はとても才能がないと言えるものじゃなかった。

なにしろ四回終了時点でコールド負けが決まったあと、長野県出身の相手チームの監督さんとバッテリーの女の子たちが、上様に話しかけにきたのだから。

 それを見た上様のお母さんは、私たち三人がもう少しだけソフトボールを続けることを、了承してくれたのである。

相手チームの監督さんが、上様が辞めるかもしれないという話を聞いて、上様のお母さんを説得しに行ったという事件まで起きている。

「で、何の話してたの?」

 ゆかりが尋ねると、上様はポッキーを咥えながら言った。

「ん? 監督の知り合いの中学校の先生で、全国クラスのソフトボールチーム教えてる先生がいるんだって。東京にある学校らしいんだけど、」

「え!? そ、それで上ちゃん、まさか、」

「やだなあ、やめてよ。私は生涯、島田スターマインズの四番ファースト!」

 私は思わず、吹き出した。

「上様、一生小学生やるつもり?」

 上様は頬を赤くし、「ものの例えだよ」と私の背中をばしばし叩いた。

「だけど、本当にそうだったら、良いのにね」

 ゆかりが呟く。私と上様は思わず動きを止めて、ゆかりを見た。

「本当に、ずっとこのまんまだったらいいのに」

 私は――ゆかりの頬をぎゅっとつねった。

「いッ!?」

「そういう思考の停止、私、嫌いだなー」

 考えることこそ人間の美徳ではないか。

思考の停止――それは愚かな大人という将来へと続く下り坂だ。

「私は、二人と一緒に、……三人で一緒に、大人になりたい」

 ゆかりが頬をさすりながら、私の顔を見る。

上様が頷いた。

「そうそう。だって大人になったらさ、もっと速い球をもっと力強くかっ飛ばせるんだよ」

「……上様、なんか完全に筋肉バカみたいなキャラになってない?」

「なってない! 草野球でおっさんにど真ん中投げられて打てないのが悔しくないの!?」

 あー、分かる分かる、と三人で頷き合う。

「そうだね、うん。……私、猫ちゃんと上ちゃんと一緒にだったら、早く大人になりたい」

「その前に中学生と高校生もね。私、上様のセーラー服見たいなあ」

「やめてよ、恥ずかしいなあ」

「あー、分かる。上ちゃんの制服、写真つけたら高く売れそうだよねえ」

「ゆかりちゃん、その思考はなんか犯罪者っぽいよ……」

 あどけない顔をしてなかなかエグいことを考えるなあ、と、私と上様とで顔を見合わせる。

ゆかりの新たな一面を垣間見た気がした。

「そういうエグい発言は猫ちゃんの役目だから」

「おい」

「あ、そっかー」

「そっかーじゃない!」

 そのとき、上様のお父さんの車が目の前に止まった。

助手席から顔を覗かせた上様のお母さんが、おいでおいでと手を振ってくれる。

 上様とゆかりが立ち上がり、車に向かって駆け出した。

「ちょっと待ってよっ」

私も二人の後を追う。

薄情な二人だと思ったけれど、必ず待っていてくれるということを私は知っている。

上様のお父さんの運転で、島田スターマインズ揃っての食事会の会場まで行く予定なのだった。

祝勝会にはならなかったけれど、草野球のおじさんたちは勝っても負けても笑ってビールを飲んでいたから、楽しければ結果オーライということにしておこうと思う。

 前までは、草野球のおじさんたちをくだらない大人だと思っていた。

けれど今では、少しだけ、そういう大人もアリかもしれないな、と思っている自分がいた。

三人で、例えば仕事が終わったあとに集まって、上司の愚痴を言い合いながら酒を飲むのだ。

そういう大人ってクズ野郎だって思ってたけど――何者にもなれないよりも、ずっといい。

だって、毎回練習の後にビールを飲んでるおっさんたちの顔は、実際、ものすごく幸福そうだったから。

 コーラで乾杯しよう。

そして、急いでこの手を治して二人に追いつこう。

 少なくとも、この二人と一緒なら、どんな未来だって受け止めきれると思った。

 私は二人の背中を追いかける。

懸命に、一歩一歩。

そして、青い空に誓う。

もう二度と、この二人を裏切らないと。

 ゆかりが、一歩私に近づいて言った。

「でも、全部、私たちのためにやってたことだったんでしょう」

「それは、」

 そうだ――私は、この三人の関係を守りたくてやったんだ。

でもそんなの、裏切られた二人にすれば、余計なお世話じゃないか。

私の信用はおろか、二人の周囲への信用までをも失わせてしまう行為じゃないか。

そんなの――赦されていいわけないじゃないか。

「二人のためなんかじゃ、ない。私は勝ちたかったの。絶対負けたくなかったの。ただそれだけのために、二人を裏切って、」

「ただ自分が勝ちたい、それだけのために骨折を我慢してミットを構え続けたの?」

 ゆかりの言葉が、吸血鬼を貫く銀弾のように私の一番奥をえぐる。

けれど私は、止まってはいけない。

ここで二人を裏切りきらないと、これ以上二人を傷つけるわけにはいかないから。

 これ以上、最低な私の最低な人生に二人を関わらせるわけにはいかないから。

「そう、だよ。そうだよ。私は二人のことなんてどうでもいいの。自分に才能があるってことさえ確認できれば、自分の人生さえ勝てれば、二人が負けたって、」

「嘘。猫ちゃん、嘘ついてる。猫ちゃんが私たちのことどうでもいいなんて、そんなこと言うはずない」

「なんで? 自意識過剰なの? そんなわけないじゃん、私は、」

「私たちとの関係よりも自分の人生の勝ちを気にしたりする人が、指の骨折なんて、一生を棒に振るかもしれない重大な怪我を放置するわけないもん」

 私は、ゆかりの言葉にぐうの音も出なかった。

唇を引き結んだ私に、縋りつくように上様が被さる。

「それに、本当に自分だけが勝てばいいって思ってる人が、自分にしかない能力のことを明かすわけないじゃない」

 呼吸することすら許してくれない――そういう威圧感が、ゆかりの言葉にはあった。

静かで穏やかな風のような響きなのに、私は全く反論することができなかった。

「ねえ、私たちは信じるよ。猫ちゃんがずっとその特殊な力のことで悩んでたって、信じる。信じるし、力になる。私たちは離れたりしない、逃げたりしない。だから、もうこれ以上酷いこと言わないで。自分を傷つけないでよっ! 何があっても私たちは大丈夫なんでしょう! そう言ってくれたのは、猫ちゃんじゃんっ」

 上様も、ゆかりの隣に立って叫んだ。

「そうだよ。猫ちゃん、言ってたじゃん。何があっても私たちは大丈夫って! だから……」

「全部嘘だよ! 私は二人にずっと嘘を吐いてきた! これからもきっと吐き続ける、だから、何があっても大丈夫なんて嘘! だって、こんなクズと親しくなんかなれっこないじゃない! こんな気持ち悪い力を持ってる人間を、信じられるわけないじゃない! 何があったって絶対壊れない関係なんて、この世界にはないんだよ!」

「あるよ」

 ゆかりが言った。

「ここにあるよ」

 ゆかりが、近づいてきて、私の右腕を掴み、そしてもう一つの手で上様の手を掴んだ。

「ここにある。この三人は絶対に切れない。私が切らさない。どんなことをしてでも守ってみせる。初めての小学校に馴染めなかった私を守ってくれたのは、いつだって、猫ちゃんと上ちゃんだったから。今度は、私も守れるようになりたい、だから」

「辞めてよ……、小学生の頃の友達なんて、みんな最後は離ればなれになって、違う人生を歩んで、それで、……どうせどうでもいい存在になるんだよ! ううん、それならいっそ良かった。私のことなんて忘れてくれたら良かった!」

 私は知っているから。

過去の自分と今の自分とを見比べて、絶望して、酒やギャンブルにおぼれていく大人たちのことを、私はこの身を以て知っているから。

「ならないよ。絶対に忘れない。賭けてもいいよ、猫ちゃん。もしも私が一瞬でも猫ちゃんのこと忘れて、ないがしろにしたら、私のことを殺してくれても構わない」

 私は――絶句した。

 まさしく今、私は、あのときの上様のお母さんと同じ顔をしていたに違いない。

上様を助けるために駆けつけた私が、上様のお母さんに如何に酷いことをしたのかということを、私は、理解した。

 胸元にインコースを投げ込む? 

冗談じゃない。私が上様のお母さんにしたこと――今ゆかりが私にしたことは、そんな生やさしいものじゃない。

 デッドボールだ。

死球だ。

それも顔面に――いや心に。

相手の一番大切な場所に、予期せぬ剛速球をぶん投げたも同じじゃないか。

「いいよ、猫ちゃん。私は絶対猫ちゃんにそんな酷いことをしない。約束してあげる。だからもしも私が猫ちゃんを裏切ったら、殺してくれて、構わない」

「……やめて」

 私は、掠れた声で呟いていた。

 ゆかりの目がまっすぐに私を見ていた。

私はその強い意志に、底のない穴に吸い込まれてしまうほどの恐怖を感じた。

 今になって、私は気がついた。

ゆかりは強い少女だったのだ、と。

私なんかよりもずっと、ずっと。

それはそうだ。私はゆかりだけを見て戦っていればいい。

私は仲間を見て、仲間に見守られて戦っていればいい。

キャッチャーの私は、守備において一度も敵と向かい合ったことがないのだから。

けれど、ゆかりも上様も、守備のときには、毎回敵と向かい合っているじゃないか。

それもゆかりは、ど真ん中のマウンドに立って、敵と一人で向かい合って、どんなに酷い試合になっても絶対に泣いたりしない。

 そんな強い少女に、自分なんかが勝てるわけ、ないじゃないか。

「やめて、ゆかり。……私は、私、そんなこと、」

 その瞬間、ゆかりが私を引き寄せ、抱きしめた。

「ほら、嘘だった。私たちのこと大切じゃないなんて、嘘だった。知ってたよ。私、猫ちゃんが最初から、私たちのために頑張ってくれてたこと、私、知ってた」

 私が――この二人相手に勝てる理屈など、なかったのだ。

 上様が、私とゆかりをまとめて抱きしめた。

力強い両腕だった。

力強くて、優しかった。

容赦のない優しさだった。

こちらの事情なんて考えない。

好意を押しつけてくる、心地よい強さだった。

そして上様が、私に囁いた。

「猫ちゃん、私は知ってるよ。私自身よりも、ゆかり自身よりも、猫ちゃんが私たち二人のことを考えてるってこと。だけどね、それと同じくらい、猫ちゃん自身が思ってる以上に、私たち二人は、猫ちゃんのこと、考えて、それで……大好きなんだよ」

 三人で、崩れ落ちる。

抱き合って、わんわんと泣いた。

タクシーの運転手とか、ホームレスとか、そんな汚いものは知らない。

 私たちはそうして、三人で、世界を置いてけぼりにして泣き続けた。

 三人で体を重ねていても、私は二人の心を読むことができなかった。

その理由はどれだけ考えても分からない。

けれど――もしかしたら、三人の心が完全に一つになっていたからかもしれないと思えた。

何の根拠もない憶測だけど、もしそうだったら、良いなと思った。

最終話を読む

 もう、どうしようもない。

私は非常階段を降りて、長岡駅のロータリーから離れる方向へ伸びる路地へと迷い込んだ。

 タクシーの運転手が私を見ていた。

居酒屋からがははと笑う声が聞こえた。

 そして、私の目の前で、横になって眠っているホームレスがいた。

「ああはなりたくねーよな」

 ホームレスの向こうに伸びる通りを、中学生くらいの集団が歩いて行く。

ホームレスをちらちらと見て、彼らは笑う。

私の姿に気づいた者もいたけれど、ホームレスを見るのと同じように、見て見ぬ振りで立ち去った。

 はっとした――思わず世界から目を背けたくなるほど、驚いた。

 今まで出会った全ての大人を見るとき、私は毎回必ずこんな大人にはなるまいと願っていた。

私がなりたいと思うような大人はこの世界には、少なくとも新潟県長岡市には住んでいなかった。

けれど、私は目の前に転がって寝ているホームレスを見て、唐突に気がついてしまった。

 どれかにはならなければいけないのだ、と。

 私が今まで出会ってきて見下してきた大人たちの、どれかには必ずならなければならないのだ、と。

ならざるを得ないのだ。

さもなくば、何者にもなれないという結論が待つのみだ。

そしてその何者にもなれなかった者こそ、このホームレスなのだ。

 私は、喉の奥で猫のように唸った。

さもなくば、目の奥から生まれた熱に堪えきれなかった。

全身がこわばり、ずるずると魂を抜かれるように、私は泣き始めた。

 何かには必ずならなければならないのだ。

そしてそうなったとき、今度は私がどこかの小学生か中学生に見下される番なのだ。

 

 ポケットの中で、携帯が震えた。

取り出してみる。松城家からかと思ったけれど、違った。

ゆかりからだった。

「もしもし」

「あ、猫ちゃん、今どこに、」

「ゆかり。あのさ、私、ゆかりに教えなくちゃいけないことがあるの」

「え?」

 不思議だな、と思った。

電話の向こうにいるゆかりの心は読めなかった。

いつもは触れ合っているみたいに近くにいるのに。

いつの間にこんなに離れてしまったのだろうと思った。

 私は、寝っ転がったホームレスの姿に世紀末を見ていた。

 世界が終わるのだ。

いや、仮に世界が終わらなくても、私たちの関係は、今日、終わる。

「あのね、ゆかり。それに上様も、そこにいるのかな」

「う、うん」

「今日の試合の結果はね、私が操作して、作り上げたものだったの。ゆかりのピッチングが優れていたわけでも、上様に才能があったわけでも、なんでもないの」

「え? どういう、」

「私には、二つの超能力がある。人の心を読む能力と、触らずにものを動かす能力」

 私は振り返る。

そこに、二人が立っていた。

耳に携帯を当てたゆかりと、私の分のバッグをも抱えた上様とが。

「う、嘘。なにその冗談、全然、」

 私はゆかりの携帯を睨み付けた。

携帯はゆかりの手を外れて地面に落ちた。

「今、私がゆかりの携帯を動かした」

 上様の抱えている私のバッグ――その肩紐を動かすと、上様が私のバッグを落とした。

 ゆかりと上様は、信じられないという顔で私を見る。

「おかしいと思わなかった? 私が二人の好みをよく知っていたり、初めて戦うチームのバッターの苦手コースを知っていたり」

「で、でも」

「調べれば、ねえ」

ゆかりと上様は目配せをする。

私はあざ笑うように言う。

「でも、今日の試合は明らかにできすぎだったよね。ちょっと考えれば、私たちにそんな実力がないってことくらい、分かるのに」

「ど、」

「どうしてそんなことをしたのか、って今言おうとしたでしょ、上様。そんなの、考えなくても分かるでしょ。勝つためだよ」

「で、」

「でもそんなのズルじゃないかって? 上様はさ、ほんとに優しいよね。私はね、自分が勝ちさえすれば、ほかはどうでもいいの。ここに寝っ転がってるホームレスみたいになりたくない。それだけ。ギャンブルとか酒におぼれた人間の末路は、私が一番知ってるから、だから、」

私は、これで最後にしようと思った。

元通りには決してならないけれど、一度裏切ってしまったこの関係は、もう一度裏切ることで、きっとすっきりとどこかに収まってくれるような気がした。

だから私は――二人のことを嫌いになって、二人も私のことを嫌いになってくれれば、この凄絶な裏切りも、なんとか幕を引けるんじゃないかと、期待した。

「だからね、全部、私が仕組んでたことなんだよ! ゆかりが投げた球を操作して、上様がボールを打つ瞬間を操作して、全部、私が二人を裏切って偽物の結果を作ってたの! 私はそういう最低な奴なんだよ! 勝つためには手段を選ばない! スポーツマンシップの欠片もない、最ッ低なドクズ野郎なんだよ!」

第14話を読む

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